みなさま、こんにちは。
Masakiです。
私の地元山形は、農業県です。
農家をしている人も多く、街中を走る車も軽トラックを多く見かけます。
都心周辺では軽トラックはあまり見かけませんが、地方ではメジャーな乗り物なんですよ。
僕が幼いころ、ホンダの「T360」という軽トラックが走っていました。
その軽トラックは、ボンネットをもつ“セミキャブオーバー”タイプの軽トラックで、
今主流の“キャブオーバー”タイプの軽トラックとはだいぶ違う風貌でした。
フロントだけ見るとヘッドライトが盛り上がっていて、セダンようなスタイルで、
横から見るとボンネットトラックのような形をしていて、
今思い出すと、かなり“斬新”なデザインをしていました。
そんな「ホンダT360」が東京都南青山にある「Hondaウエルカムプラザ青山」にあると聞いて、早速見に行ってきました。
ホンダT360
牛に倒されそうですよね(^^)
「T360」は、1963年8月1日に発売されました。
ホンダがまだ2輪メーカーだった頃、4輪の製造を視野に入れて、計画を進めていた矢先、通産省から、
自動車行政の基本方針(特定産業振興臨時措置法案)が示されることとなりました。
この法案は「貿易の自由化」に備えた国の政策であり、国際的に競争力が弱い産業を国が指定して、
「特定産業」ととして統廃合や新規参入の制限するものでした。
この法案に猛反対した本田宗一郎氏は、当時の通産省事務次官であった佐橋滋氏に直談判し、法案を撤廃するように迫りました。
法案を成立すれば、ホンダの4輪業界への進出は絶たれてしまうわけです。
法案成立までホンダは4輪を作る能力があるメーカーということを示すため、早急に4輪を製造することとなりました。
その製造した車種が「T360」と「S360」でした。
「S360」は本田宗一郎氏が、「軽自動車のオープンカーは売れない」という持論をもとに、排気量を
500ccにアップした世界基準のオープンカーに方針転換したことにより、市販化はされませんでした。
特定産業振興臨時措置法案は結局成立しませんでしたが、法案成立する前に4輪メーカーであることを示したかったホンダは、結果的に4輪メーカーの仲間入りをすることとなりました。
そのホンダ初の4輪自動車が、
「T360」となります。
エンジンは、当時2輪のレース技術を活かしたアルミ製OHC・V型4気筒の強制空冷方式のエンジンを開
発していましたが、空冷エンジンに限界を感じていたため、水冷方式直列4気筒・DOHCエンジンの開発
することとなりました。
「T360」に搭載されたエンジンは、日本初のDOHCエンジンを搭載し、前期型のキャブレターには、京
浜精機製4連キャブレターを装着していました。
そのため、馬力も当時の軽トラックよりもはるかに高く、当時の軽トラックの馬力が20PS程度だった頃、「T360」は30PSを発揮していました。
また、このエンジンは、鋳鉄製のスリーブ以外はオールアルミニウム合金製で作られていて、
高回転・高出力型のエンジンとなっていました。
スペック
乗車定員: 2名
ボディタイプ: 2ドア キャブオーバー型 ピックアップトラック
エンジン : AK250E型:水冷4ストローク直4DOHC 354cc
駆動方式: MR
最高出力: 30PS/8,500rpm
最大トルク: 2.7kgf·m/6,500rpm
変速機: 4速MT
サスペンション: 前:ウイッシュボーン 後:リーフリジッド
全長: 2,990mm
全幅: 1,295mm
全高: 1,525mm
ホイールベース: 2,000mm
車両重量: 610kg
スペックや、エンジンの性能を見ただけでもホンダの“意気込み”を感じますね。
軽トラックに水冷4気筒直列DOHCエンジンを積んでしまうところが、ホンダらしい“スポーツ”スピリッツを感じてしまいます。
出典:本田技研工業株式会社 YouTube公式チャンネル Honda Collection Hall 収蔵車両走行ビデオ T360(1965年)
フォトギャラリー
斜め前から見ると、かわいらしい顔つきをしてますね。
“軽トラック”らしからぬデザインで、カッコいいですよね。
リアのあおりは小さ目ですが、荷台はかなりしっかりしてそうです。
本田宗一郎氏は、車を売ることだけではなく、“人”のために何ができるか、働くみなさまに何が役に立てることは何かを考えながら車つくりをしていました。
優れた倫理観を持ったトップが率いる自動車メーカーは、やはり素晴らしい自動車を作ります。
1955年5月に通産省から国民車構想発表された当時、スバルは構想に合わせて「スバル360」を発表しました。
高度成長期は、“野球版”なんかも流行りました。
感想
見た目とは裏腹に、搭載されているエンジンは強力な直列4気筒DOHCエンジンで、強力な走破性を誇っていました。
また、搭乗する人にも配慮がなされ、サイドブレーキとシフトレバーは、ステアリングコラムの右側に配置されていました。
これは、助手席に子供を2人乗せられるようにとの配慮からでした。
当時は日本は高度成長期の真っ只中でした。
人も車も「志」を持って働いていました。
「T360」は当時の日本を支えた車と行って過言ではありません。
今の日本は先人の努力を「礎」として成り立っています。
古い車を見ても”価値のない車”としてではなく、“日本を支えた車”として見ていきたいですね!
※嫌なことで1日が過ぎるのってどうなの?
やりたいことで過ごした方がいいよね (*^-^*)
※今の時代、会社にどんなに尽くしても会社は簡単にあなたの“クビ”を切ります。
どうせ働くなら会社のためではなく、“自分”のために働きませんか?
ホンダ360ストーリー―革新 合理性の追求 (MOTOR SPORTS BOOKS) 本田 宗一郎(著)
※日本で雄一モータースポーツの最高峰“F1”に参戦している本田技研工業株式会社。
技術は「トライ&エラー」で磨かれます。
ぜひ一度本田技研工業株式会社の技術の原点を見てみませんか。
読んでいただき、誠にありがとうございました。
またお会いしましょう!
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