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東日本大震災発生から10年目を迎えて~被災地早期復興を切に願って~

復興支援

 

やまがた気仙沼会ホームページ

※東日本大震災の復興を末永く支援するため、山形県内に在住する気仙沼関係者が集まった団体です。山形県内で東日本大震災の復興支援を積極的行っています。
是非ご覧ください。

 

 

2011年3月11日の事を今でも鮮明に覚えています。

当時私は神奈川県横浜市JR横浜駅近くの商業ビルでハローワーク主催による
職業訓練を受けていました。

商業ビルと言っても築年数が古い雑居ビルで、震災前の状態でも壁や柱にヒビが多くあり
お世辞にも綺麗とは言い難い老朽化したビルでありました。


職業訓練ではCGソフトを使って建築物のパース(3D立体画像)を制作する訓練でした。

震災発生時間午後2時45分、ガタガタとパソコン周辺機器が“ガチガチ”という音が入り混じった音が鳴り響きました。
私はCG制作に没頭していまして正直あまり気になっていませんでした。

しかし座っていた椅子やモニターがあまりに揺れていたことやほかの訓練を受けていた人や先生が慌てだし、先生が「屋外へ避難してください。」との指示があったことでこの地震がかなり大きいことを知ったのでした。

外へ出てみるとすでに多くの人が沿道へ出てきており路地には人がごった返しておりました。

この地震は2度揺れました。1度目の揺れはそんなに強い揺れではなく、1分くらい後に
ものすごく強い揺れを感じました。

外へ出て向かいのビルを見てみるとかすかに揺れているのが見えました。
大きなビルが模型のように揺れているのを見たのは初めてでした。
揺れが収まり震源地がどこか、震度はどのくらいなのか気になったので教室のパソコンで調べることにしました。
すると震源地は宮城県と福島県沖の太平洋側で、マグニチュード9.0ということを知って
驚愕したことを覚えています。

インターネットのサイトではテレビと同時中継が行わて、画面にはひっきりなしに緊急地震速報発令のテロップが映し出されていました。

緊急地震速報の“テロリンテロリン”という音を聞くと今でも恐怖を覚えます。

当日の職業訓練は地震発生により終了となり、各自自宅へ帰ってくださいとの指示を受けました。

私は今回の職業訓練では電車ではなくスクーターでの通学を許可されていました。
本来は国の職業訓練などでは車やバイクなどの通勤は禁止されているのですが
今回の職業訓練では私だけたまたま許可が下りました。
最寄りの駅までの電車代は支給されるのですがなぜか今回に限り電車では行きたくなかったのです。
今考えると神様が「電車では行くな。」と御導きくださったのだと思います。

私以外の人は皆電車で通学していました。
しかし電車はすべて止まっており、震災当日電車はすべて運休とのことでした。

後日同じ教室で職業訓練を受けていた人から聞いたのですが、当日結局自宅へ帰ることができず、JR横浜駅から歩いてみなとみらいにあるパシフィコ横浜のホールで一夜を過ごしたそうです。
また違う人は3時間かけて歩いて自宅へ戻たそうです。

私はスクーターで自宅は戻ったのですが、信号はすべて消えたままで街の有志の方々が善意で交通整理をしてくれていました。

街灯やマンションの明かりは停電で真っ暗で、街の中が“真っ暗”というのは初めてでした。
幹線道路は大渋滞で、私はたまたまスクーターで通っていましたので何とか車と車の間をすり抜けて自宅へ帰ることができたのでした。

2011年3月11日は確か金曜日で翌日は訓練がお休みでした。
翌週職業訓練が再開されましたが自宅が遠い人達は教室へ来ることができませんでした。震災発生後、電車は運休のままでバスによる代行運転がなされていましたがバスは大変混雑していて乗ることができなかったそうです。

私はスクーターで通学していましたので教室へ来ることができましたが、実は金曜日の段階でガソリンが1/3を切っていましたので残量に不安がありました。
数日後ガソリンがほぼなくなってしまいどこかで給油したかったのですがどこのガソリンスタンドもガソリンが無く、どこのガソリンスタンドも車がたくさん並んで給油を待っている状態でした。
しかし諦めかけたその瞬間、目の前にあったガソリンスタンドに行きましたら店員の方が「スクーターならいいよ」と言ってくださり私だけ特別に給油していただきました。
またこの時も神様に助けられたのです。


数か月後、無事職業訓練は修了し、CG制作スキルは取得いたしました。
しかし、震災の影響で皆求人を取りやめになりすぐに再就職はできませんでした。

このことが私が東日本大震災当日の出来事です。

 

震災当日街がどのようになっているのか気になったので近所を回ってみました。

辺りは停電で真っ暗で何も見えませんでしたがコンビニエンスストアは非常用電源があったせいもあり明かりがついていました。
中へ入ってみるとおにぎりやインスタントラーメンなどの食料はすべて売り切れの状態でした。お店の中が何もないコンビニエンスストアを見たのは初めての事でした。

震災前日、近所のスーパーマーケットに買い物に行ったのですがその日に限ってお惣菜などが安く売られていました。私はうれしくなってたくさん買ってしましました。当日は買い過ぎたかと思いましたが今考えると神様が震災の事を予知していただき私にたくさんの食料を与えていただいたのだと思います。
本当に神様には感謝知りれない思い出いっぱいです

神様ありがとうございました。

 

私はたまたま神様の助けもあり生き残りました。
しかし不幸にして津波や火災、家屋の倒壊などで亡くなられた人が東日本大震災ではたくさんいます。
また、東京電力福島第一原子力発電所の事故で自宅に帰れなくなった人や避難を余儀なくされた人が今でもたくさんいます。
福島県
7,220人

宮城県
1,275人

岩手県
974人

全国
約41,000人

この数字なんだと思いますか。

この数字は2021年2月現在の避難を余儀なくされている人の人数です。

出典:復興庁 全国の避難者の数(所在都道府県別・所在施設別の数)
(令和3年2月26日現在)

 

いまだに約41,000人もの方が自宅に帰れずにほかの地域で避難生活をしているのです。
10年経った今でもです。

また東日本大震災で事故を起こした東京電力福島第一発電所の廃炉作業は今も続いており、終了するまでに30年から40年かかるそうです。(令和3年2月20日現在)(具体的廃炉完了時期:2041年~2051年
出典:福島県 廃炉に向けたロードマップ
出典:経済産業省 東京電力ホールディングス(株)福島第一原子力発電所の廃止措置等に向けた中長期ロードマップ
出典:東京電力ホールディングス株式会社 廃炉中長期実行プラン2020

燃料デブリを取り出すまで露出した核燃料は空間へ放射能を出し続けます。
デブリを取り出すまで周辺地域へは立ち入ることはできないのです。

 

復興は終わったという人がいます。
それは事実なのでしょうか。

自宅に戻れない人がたくさんいます。事故を起こした原子力発電は今もなお廃炉作業を続けています。
震災に関して起こったことが収束しない限り東日本大震災は終わってないのです。

 

2021年2月14日午後11時7分頃に福島県沖でマグニチュード7.3の大きな地震が発生しました。(福島県沖地震)
この地震は東日本大震災の震源である宮城県牡鹿半島沖から離れたところが震源でした。
地震の有識者によるとこの地震は東日本大震災の余震というよりも東日本大震災とは別の地震と見た方がいいそうです。
震源域の岩手県沖から茨城県沖では今なお地震活動が続いています。
本当の意味での東日本大震災の余震はまだ来ていません。

つまりプレートの安定化的にも避難者数の推移から見ても
東日本大震災は終わってないのです。

 

5年や10年は地球の時間軸から見たら“まばたき”と同じです。

避難者のみなさまが無事に自宅へ戻られるまで復興は続きます。
被災地のみなさまに笑顔が戻るまで私も何らかの形で支援し続けたいと思います。

どうかみなさまこれからもご無事でお過ごしください。

 

震災で亡くなられた方々には心からお悔やみ申し上げます。

Masaki Suto Style管理人
須藤正樹

 

 

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