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My Favorite artist 尾崎豊 ~尾崎への手紙~

My Favorite artist


 

僕が“尾崎豊”というアーチストと出会ったのは、高校生の時でした。

 

当時、レンタルLPレコード屋さんというのがあって、アルバムジャケットを見て、即、借りました。

 

初めは、「尾崎豊」というアーチストは、どんなメッセージを送り、どんな詩を歌っている人なのか知らなかったのですが、

高校生だった私は、尾崎の歌を聞いてすぐに、彼のメッセージに共感しました。

 

当時はLPレコードで聞いていて、レコードは「レンタルレコード」で借りて、そのレコードをカセットテープにダビングして聞いていたのを覚えています。

 

1980年代には、いろいろなアーチストがいましたが、“尾崎豊”ほど私に響いたアーチストはいませんでした。

 

1965~1983

1965.11.29 東京都世田谷区、自衛隊中央病院に誕生。父は陸上自衛官、兄弟は5歳年上の兄。

1972.4 練馬区立田柄第二小学校に入学。

1976.  朝霞市立第二小学校に転校。

1978.4 練馬区立東中学校に入学。

1981.4 青山学院高等部に入学。

1981.11 最初のオリジナル曲『町の風景』というタイトルをつける。

1981.12 新宿ルイードで『NOA』というアコースティックバンドとして初ステージ。

1982.10 CBSソニーオーディションに合格。

1983.12.1 1ST SINGLE『15の夜』 1ST ALBUM『十七歳の地図』発売

1984

1984.2.12 千葉のマザースでアマチュアバンドの前座として6曲を歌う。

1984.3 青山学院高等部中退。

1984.3.15 新宿ルイードでデビューライブ。同日、青山学院高等部卒業式。

1984.3.21 SINGLE『十七歳の地図』発売

1984.5.8 新宿ルイード

1984.5.9 新宿ルイード

1984.5.10 KBSラジオ『ハイヤングKYOTO』リスナーが主催するライブ。

1984.6.15 札幌ペニーレイン、6大都市ツアーが始まる。

1984.6.17 仙台モーニングムーン

1984.6.23 名古屋ハートランド

1984.6.25 大阪バナナホール

1984.6.26 広島ウッディ・ストリート

1984.7.1 日比谷野外音楽堂で白井貴子の前座として出演。

1984.8.4 日比谷野外音楽堂『アトミック・カフェ』に出演中、7mの高さの照明用イントレから飛び降り、左足を骨折。ステージにはいつくばって最後まで歌いきるが、この日以降のスケジュールはすべてキャンセルとなる。

1984.8.25 SINGLE『はじまりさえ歌えない』発売

1984.12.3 秋田市文化会館、全国21都市を回る全国ツアーがスタート(~1985.2.7 札幌教育文化会館)

1985

1985.1.21 12INCH SINGLE『卒業』発売 <オリコンチャート初登場20位>

1985.3.21 2ND ALBUM『回帰線』発売 <オリコンチャート初登場1位>

1985.5.6 立川市民会館”Tropic of Graduation”ツアーがスタート。 (~8.25 大阪球場 26,000人を動員)1985.7.5 単行本『未成年のまんまで』(落合昇平/著)CBSソニー出版より発売

1985.10.21 12INCH SINGLE『DRIVING ALL NIGHT』発売

1985.10.25 小説『誰かのクラクション』(尾崎豊/著)角川書店より発売

1985.11.1 四日市市文化会館”LAST TEENAGE APPEARANCE”ツアーがスタート。

1985.11.14~15 代々木オリンピックプール.2日間で30,000人を動員 (~1986.1.1 福岡国際センター。この日以後活動を無期限休止)

1985.11.28 3RD ALBUM『壊れた扉から』発売

1986

1986.1.14 フジテレビ系列にて1985年の代々木オリンピックプールでのライブを収録した『早すぎる伝説』放送。

1986.3.25 『早すぎる伝説』再放送。

1986.5 単身渡米。

1986.7 フィルムコンサート『もっともっと速く!』を全国100カ所にて行う。200,000人動員。

1986.7.21 VIDEO『6PIECES OF STORY』発売

1986.8.21 単行本『失した1/2』発売

1987

1987.1 帰国。

1987.2.10 レコード会社『MOTHER&CHILDREN』に移籍。レコーディング開始。

1987.7 茨城県民文化センター”TREES LINING A STREET”ツアー開始。

1987.8.5 広島平和コンサート、渡辺美里のステージに飛び入り。

1987.8.6 当初予定になかったステージに出演。

1987.8.22 熊本BEAT CHILD、どしゃ降りの中で歌う。

1987.8.29 有明コロシアム、2日間で20,000人を動員。

1987.9.24 豊橋勤労会館、この日を最後に本人急病のためツアー中断。

1987.10.1 12INCH SINGLE『核(CORE)』発売

1987.10.21 LIVE ALBUM『LAST TEENAGE APPEARNCE』発売

1987.12.22 覚醒剤取締法違反で逮捕。

1988

1988.2.22 東京拘置所から釈放。

1988.5.12 結婚。

1988.6.21 12INCH SINGLE『太陽の破片』発売

1988.6.22 フジテレビ『夜のヒットスタジオ』に出演。

1988.9.1 ALBUM『街路樹』発売

1988.9.12 東京ドーム”LIVE CORE”復活ライブ。

1988.12.1 写真集『WORKS』発売

1989

1989.7.24 長男誕生。

1989.2.21 LIVE VIDEO『LIVE CORE』発売

1989.3.21 SINGLE『卒業/15の夜』発売

1990

1990.  事務所『ROAD&SKY』に移籍。

1990.4 月刊カドカワで小説『黄昏ゆく街で』連載開始。

1990.10.21 レコード会社『CBSソニー』に再移籍。

1990.10.21 SINGLE『LOVE WAY』発売

1990.11.15 ALBUM『誕生』発売

1990.12.1 SINGLE『黄昏ゆく街で』発売

1990.12.19 事務所を独立し、自らISOTOPE(アイソトープ)設立。

1991

1991.1.21 SINGLE『永遠の胸』発売

1991.2.28 小説『普通の愛』角川書店より発売

1991.3.21 SINGLE『I LOVE YOU』発売

1991.3 ファンクラブ『EDGE OF STREET』発足。

1991.5.20 横浜アリーナ”BIRTH “ツアー開始。(~1991.10.30 代々木競技場第一体育館)

1991.12.29 母、急逝。

1992

1992.2.29 写真集『白紙の散乱』角川書店より発売

1992.3.30 LIVE VIDEO『TOUR 1991 BIRTH』発売

1992.4 アルバム『放熱への証』レコーディング終了。

1992.4.25 午後12:06 肺水腫のため死亡。

1992.4.30 文京区護国寺にて追悼式。40,000人以上のファンが雨の中で彼の死を悼む。

1992.5.10 SINGLE『汚れた絆』 ALBUM『放熱への証』発売 <即日完売>

1992.6.10 ”TOUR ’92 放熱への証”中止。

1992.6.20 小説『黄昏ゆく街で』(未完)角川書店より発売

Sony Music Entertainment  尾崎豊プロフィールより引用

 

 

 

言いようのない孤独とさみしさ

 

この「言いようのない孤独とさみしさ」をストレートに歌にしたアーチストは、尾崎しかいなかったのを覚えています。

 

 

当時の自分が抱えていた悩みだと思います。

 

そして、その悩みは今でも消えていません。

 

 

 

尾崎への手紙

 

尾崎へ

天国で元気でいますか。

相変わらずロックしてる?

あなたの気持ちは十分みんなに伝わったよ。

苦しかっただろ。

もう無理すんなよ。

だけど、一つだけ言わせてくれ。

 

死んではだめなんだよ。

熱い生きざま、見せるんだよ。

 

でも、大丈夫

その仕事、裕哉君が引き継ぐよ。

親父とは違う生きざま、見せると思うよ。

 

いつかまた会おう。

安らかに。

 

 

 

 

 

 

 

読んでくれてありがとうございました。

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